◆2004年1月〜〜2006年12月 更新記録
<2004年1月10日> さて、久々のエッセイ 7作目 還暦を迎えるに際しての記念に『ふざける菜選集』を書上げました。昨今の世の中が何となくおかしい?と思いながら自分の不満を書き綴りました。ご一読頂きまして忌憚の無いご意見・ご感想を頂ければ幸甚に存じます。尚 2003年 油絵作品の掲載は 2月中旬を予定しておりますので、その折には連絡をさせて頂きます。寒い冬 お風邪をひかぬようご自愛くださいませ。 <2004年3月7日> <2004年5月5日> <2004年10月16日> ++異業種勉強会でのスピーチ内容にご興味おありの方はここを→「講演レジメ」をクリックください。またこのTOPページも5年前に編集してそれに継ぎ足しを重ねていたためにゴチャゴチャとなってしましましたので ここでチョット構成を変えてみました。「私の紹介」ページを別に作りましたので クリックしてみてください。 |
<2005年3月12日>
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<2006年1月2日> ●アトリエ清水1月展 8日〜14日千代田区いきいきプラザにて開催 今年は「たまご絵展」と銘うって開催されるが、つまり”たまご型”を題材にした油絵のみが展示されます。私の出展作品は【たまご流星・運】と【大黒天星】の2作品です。共になにか幸運が掴めそうな題名ですが、ご覧になってどんな印象を持たれますでしょうか。この1月展が終了後 <油絵 2005年作品>を 下記に掲載予定です。 昨年は上述のたまご絵作品の他に登山した時のシーンを題材にした【北沢峠・岩場】、【守屋山・せせらぎ】を描きました。ご期待ください。 <2006年2月2日> 今年に入って”人間社会浄化作用”が起きたことがうれしい。昨年末、「エライヤチャ、ヨイ、ヨイ」と腹を出して踊っていた軍団(団長:ホリエモン)が逮捕された。もっと、もっと この浄化作用が幅広く行われることを切に期待したい。今回【2005年 油絵作品】を掲載致しました。1月の「アトリエ清水 作品展」に出展の為に”たまご絵”に挑戦してアブストラクトな2作品が出来上がりましたが、”たまご型”のなんとも不思議な形状は”安定、平穏”を連想させ、たまご星雲の誕生をテーマに描いてみました。これも今年は丙戌(ひのえいぬ)、三碧木星の年にふさわしい絵ではと思っているのですが いかかでしょうか。1月掲載のエッセイ【遂にその日は来た】も合わせご一読頂ければと思います。悪い風邪が流行っています。健康に充分ご注意願います。●今年は冬季オリンピック(イタリー・トリノ)の年 2月にトリノでの冬季オリンピックが楽しみです。これまでその度に花形競技が変わって来ている。1972年札幌ではジャンプ70mで金銀銅を制覇、1998年の長野ではモーグルで里谷が金、今年はフィギュア、スピードのスケートで興奮させてくれそうだ。ところでオリンピックは以前冬と夏の大会が同じ年に開催されていたと記憶するが、いつごろから別の年開催となったのだろうか。なんと10年程前 92年の冬季アルベールヒル(米国)の2年後にリレハンメル(ノルウェー)で開催し、92年夏季バルセロナ(スペイン)の4年後アトランタ(米国)開催、その後それぞれ4年周期で開催されている。 <2006年3月5日> ●エッセイ【遂にその日は来た】 完成 昨年9月20日母が他界しました。百か日法要が終わって母の書棚や戸棚を整理していると母が元気だった頃が懐かしく思い出されます。母が道で倒れ病院に担ぎ込まれ、それから1ヶ月と20日間で永い眠りに落ちてゆきます。母は元気なころから自分が死に至った時の必要なことすべてを準備してあり、また人の手を煩わせることなく他界する母はなんと“死に際のみごとな方”だろうと感心させられました。これが “よし、母について書き残しておこう”という気持ちにさせ、この作品が生まれました。下記のエッセイ欄に<後編>“オデコミュニケーションと精霊”を掲載しましたのでお読みください。 <あらすじ>
●「塩の道 第2章 2つの峠越え」敢行! 既報通り第2弾はこの5月2日より7日までGWを利用して塩の道 秋葉神社の下、龍山村の脇にある秋葉ダムから一人歩きがスタート。1日目は天竜川を上流へ、そして佐久間町・西渡にて1泊目、2日目は「青崩峠 (1038m)」を越えて長野県・南信濃村・遠山郷へ。3日目は2つ目の峠「地蔵峠(1314m)に挑戦、峠を越えてだらだらと下り15kmを経て大鹿村に入る。この後の計画していたルート、大鹿村から長谷村を通って高遠までの秋葉街道は 充分に知りつくしているので、大鹿村からもう一つの塩の道である三州街道(伊那街道)ルートに変更することにした。大鹿村からバスで小渋渓谷を下って松川町に出てJR飯田線「伊那大島」駅前から天竜川の堤防に沿って歩きを開始 。この日は駒ヶ根のビジネスホテル泊。翌5日目は今回の最終目的地 伊那市まで。この夜は伊那市の街にて行き付けの割烹にて懐かしい友人たちが出迎えてくれて、私の無事完歩を祝して「乾杯!」。 この5日間、すべて最高の天気にめぐまれ、また一人歩きだからこそ出来た沢山の経験がありました。「塩の道:第2章」を出来るだけ早く下記エッセイ欄に掲載したいと思いますが、今回はその速報版として【峠ションと石ぐそ】を緊急レポート致します。今回5日間の総歩行距離は104kmでした。 緊急レポートは ここをリクック −−−→ 【峠ションと石ぐそ】 ● もう一つの【2007年問題】 【2007年問題】とくれば我ら年代層はすぐに「団塊の世代が定年を迎える」という大問題(?)、すなわち公園のベンチそして公共図書館の閲覧室のテーブルが朝から超満員となる現象が頭に浮かぶ。更には美術館・博物館がいつも盛況で、区役所で企画している生涯学習が定員オーバーで順番待ち、我が家のある文京区一帯でウイークデ−にも係わらず「文京の坂を訪ねて」とか「文豪をたずねて」といったウォーキイング・サークルが行列を作って歩いている姿、これが所謂2007年以降にはもっとドット常識化するのだろうか。 ところでもう一つの【2007年問題】が存在するのである。私は昨年11月からある専門学校の理事としてお世話になっているが、この業界にも大きな波が襲い掛かっていたのだ。その原因は「少子化問題」がベースにあるのだが、実は2007年には「大学等の入学定員と志願者が同じ数になるという「大学全入時代」の到来である。 |
<2006年7月19日> ●「塩の道 第2章 2つの峠越え」 エッセイ完成 5月の連休を利用して5月2日〜7日の間で「塩の道」を歩いて参りました。「塩の道 第1章 静岡県 相良町から火の神様”秋葉大社”まで」が昨年の5月26日〜29日でしたから、およそ1年ぶりの再開でした。今年に入ってからチョット多忙の為、運動不足気味で今回の連続歩行に不安を感じていましたが、ここで止めたらそのまま”塩の道を 自分の足で制覇”の夢が断ち切れてしまうと思い、無謀にも敢行してしまいました。今回の2つの峠越えは確かに厳しい行程でしたし、また普段では絶対に体験出来ないことをやってしまいました。旅を終えての直後にも”無謀な敢行”に対して神様が私にバチを与えて下さいました。そんなハチャメチャ行脚を下段<エッセイ>欄に掲載いたしましたのでご一読ください。 ●文明の”おみやげ” 今、数少なくなってしまった子供達が泣いています。温かく包み込んでくれるものが無くて泣いています。たくさん泣くと殺されてしまうかも知れません。そんなニュースで新聞紙上が溢れています。これは泣く子供が悪いのではなく、その親が悪いのでしょうか。そしてその親の親も悪いのでしょうか。なぜそうなってしまったのか。ある頃から人間は豊かさ・楽さバカリを求める文明に邁進した為に、結果としてその文明から私たちへの”おみやげ”なのでしょう。その対策はあるのでしょうか? 毎年いつもの軒先に戻って来るツバメの巣の中の親子の姿を、そして木の枝に巣を作って大雨の日だってタマゴを温めているヤマ鳩の親をジ〜ット観察していると、そのヒントが見つかるかも知れません。本当に大切なのは ”物の豊かさ”ではなく ”心の豊かさ”に気づかせてくれるからです! <絵画を描いて10年> 油絵を描き始めて10年になりました。その間に書上げた油絵は33作品ですから 1年にわずか平均3作品でした。作品一つ一つが勉強ですので、とにかく色々な絵を描いて来ました。模写が6作品、静物画 7作品、風景画 13作品、抽象画 5作品、自画像 2作品という内容でした。しかし年代別に見るとまずは”静止画”から始まり、次に”風景画”、そして”模写”、またまた”風景画”に戻って暫く数年続き、昨年になって“抽象画”に兆戦。そして今年は印象派の”模写”に戻りクロード・モネの作品を模写しました。 <印象派の絵画> 印象派は19世紀に入って生まれた技法で“目に映る印象をそのまま自由に描く”ことをモットーにしている。神話や聖書の登場人物ではなく同時代の女性を描いて近代ヌードを確立した「マネ」、刻々と変わる風景の色彩を連作で追求した「モネ」、ゆらめくようなタッチでおなじみの「ルノワール」、バレーや競馬といった都市風景を活写した「ドガ」など、現在もっとも人気が集まる画家たちを輩出した画派である。 (名画の歴史:西岡文彦著より) <私の作品の方がモネのより好き> “絵描き”はこのようなずうずうしい気持ちが無ければ続きません。だって一生懸命時間を掛けて自分が描き終わった作品を見て「どうも、余りうまくないな」なんて思ったらバカバカしくて絵なんて描いていられませんよ。そもそもモネの『アムステルダムの港』の絵だって私はカラープリント物を模写したのであって、モネの実物の彩色が出ているか分かったものではない。どこのメーカーのカラー印刷機を使ったのだろうか、なんて考えてしまう。 やはり私の模写の方が私は好きだ。
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